序論
『古都』は川端の悲しみを美化して植物と建築物を通して美しく表現された作品である。
孤児心理とは?
孤独
悲しみ
寂しさ
幼少期の境遇
美しいと言うのは?
本論
一章:身内の死
キーセンテンス
川端の孤児心理は幼い頃から死を身近に感じていたことによって形成された物である。
死
川端の人生を旅と称するのならば、少なくとも半ばの人生は父母の死との「同行二人」の旅であった。
川端における早世の怯え
戦争による友人の死
A
医者の父と資産家の令嬢である母の両親のもとに姉の四人家族の長男として生まれた。 三歳の時に両親を亡くしたことによって父方の祖父母に引き取られる。 その時に姉とは離れ離れになり、中学三年生の時には祖父もなくなり親戚に預けられた。
孤児
B
両親を亡くしたことにより寂寥感を感じており川端が 中学三年生の時は夜になると家にいる寂しさに耐えられず、 川端は祖父を一人残して毎日のように、友人の家に遊びに行き、 温かい家庭の団欒に交ぜてもらっていた。 肉親の愛情に恵まれず、その感覚を生涯ひきずっていた。 (落花流水、pp213–215、随筆 2013、 pp.114–118)
肉親の愛を感じたことがなかった
親の愛情に憧れていた(友人)
C
「自然や「ほろびぬ美」と比較して、人間の生命や人事がいかにはかないものであるかという 慨嘆でもあるの知己とのこうした死別も川端の出生以来持ち続けていた、 「孤児」としての孤独や悲しみを一層深めるものとして働いたことであろう」と記載されていたことから 自然の建物である京都の伝統的建物と身内の死が時とともに失っていくことを象徴していると思われる。(川端康成の文学より) また、「古都」の美が川端の美的感性に対応してる証拠して古都という作品が1962年と 日本敗戦後に出版されたことから敗戦後の川端は「敗戦後の私は日本古来の悲しみのなかに帰つてゆくばかり」と 発言しており(川端康成の文学より)日本古来の美しさは川端の美的感覚を築き上げた幼少期に親しんでいた 「源氏物語」の舞台で あり執筆現場でもあった京都であることから対応していると言える。
伝統
失われていく伝統
美的感覚
源氏物語
主人公の光源氏を通して
恋愛
栄光
千重子
没落
苗子
政治的欲望と権力闘争
をテーマに描かれた作品
『源氏物語』を戦時中に読んでいたことが川端を真の姿で立ち現われて来た
ほろびぬ美
美しさ
いつたんこの世にあらはれた美(川端康成の文学)
平安朝から現代まで日本古今の短編小説のうち、名作少数を選び出すといふ仕事のために、 私は手当り次 第に読み散らしてみたことがあつた。 〔中略〕さうして見た日本の短編小説、殊に明治大正の作品は、私に苦い思ひをさせた。 その多くは幻滅である。(川端康成の文学)
川端の意識には日本の古典への親炙が根強かった
幻滅
美の不滅の確信に、自分の救済と更生を見出した
「戦争 を忘れさせ、また戦争を凌がせる美」(「ほろびぬ美」)
悲しみ
私はもう日本のかなしみしか歌はないと、 敗戦ののち間もなくに、私は書いたことがある。 日本語で「かなしみ」とは、美といふのに通ふ言葉だが、 その時は かなしみと書く方がつつましく、 またふさわしいと思 つたのであつた。 (昭和四十四年四月『全集 第 二十八巻』)
日本語で「かなしみ」とは、美といふのに通ふ言葉だが、 その時は かなしみと書く方がつつましく、またふさわしいと思つたのであつた。 (昭和四十四年四月『全集 第二十八巻』)
戦争及び敗戦体験と「源氏物語」などの古典への耽溺に加え、川端文学を変貌させるもう一つの要因となったのが、 多くの知己を戦中および敗戦の前後に亡くしたという体験
日本のかなしみ
日本古来のかなしみ
敗戦によって失われた
建物
京都
日本人の性格
情景
美しい
悲しいの中には美しいが秘められている
古都はほろびぬ美をベースに 悲しみを美化して描いた作品である
二章:植物によって描かれた心理
キーセンテンス
千重子と苗子に共通していたのは他人に対する謙遜感であり 川端の孤児心理にもそれがあり自分の性格に嫌悪感を抱いていた。
A
苗子が作中内で金もくせいの匂いを「人より遠くから」感じ取り, そしてそれを「かなしみ」と感じていたのは,千重子がの「幸福」がすみれの花に表されていたように, 「あたたか」な「幸福」が 「花ひらくことに重なり,その「あたたか」な「幸福」を、 一人生きる苗子は誰よりも先に察知する感觉を持っているからである。 そして苗子にとって,そのような「幸福」が自らの「幸福」と本質的に異なることを十分に理解していることが、 彼女の感じる「かなしみ」を一層深くさせ改めて孤独を感じさせている。 以上のことから、川端の対象を客観化する散文的精神が作品内において 第三者目線で人物だけのみならず季節、建物、情景の変わりゆきをする様子に反映されたのではないかと伺える(川端康成の研究-鍾碩)
第三者目線
季節
建物
情景
概要
幸福
千重子
恵まれた環境であるからこそ 本来の幸福について気づくのが遅かった
両親がいるという幸せ
苗子
厳しい環境であったからこそ 小さな幸せにすぐ気づけた
B
自分に姉妹がいたことをしった千重子は後に自分が捨て子であり肉親が 亡くなっていることをしったが 両親が20年も養親でいてくれ肉親であれば本来できなかった裕福な生活ができたので 肉親ではなく織物家の娘でいれたことに感謝していた。 しかし、苗子には千重子にとっての太吉郎やしげのように肉親の代わりに深い愛情注いでくれる人物はなくただ一人北山杉に囲まれた中で育ち、 自らの手で生計立てて暮らしていることを知った千重子は孤独を覚えていると表現しており かつて祖父と暮らしていた時代に友人の両親がいるという環境を羨み、 生涯孤独を感じていた川端の心理だと言える。 (川端康成「古都」論-植物の表象とふた子の幸福を巡って-) そんな苗子を川端は、自然が次第にを色失い枯れてゆく季節に盛りを迎える植物と共に描かれている。
孤独
苗子は親の愛を感じたことがなかった
千重子は血の繋がりの愛を感じたことがなかった
季節
花の咲く時期によって季節を表している
C
川端氏は身内が全て亡くなったことにより親戚や周囲の人々の多くは 親切に接してはくれても、 肉親のように、気に入らないところを言い合ったところで長く続く関係とはならず、 もしも自分が過ちを犯せば、 生涯ゆるされないだろうということを知っていた川端氏は、 引き取ってくれた親戚含め、 他人の顔色を窺い、心を閉ざしがちな自分を蔑んでいた (川端康成の研究-鍾碩) 孤独であった川端の心情が植物を通して描かれていた。
苗子の千重子に対する謙遜
心を閉ざしがちな自分
三章:空間表現によって描かれた孤児心理
キーセンテンス
川端は作品内で空間、情景の表現によって自身の思いが現れている。
A
川端自身に両親の思い出はなく川端が必死に作中で昔の勇敢さ、素直さを描き出す作品内で 「人間て、なんでこの世に出来たんやろ。おそろしおすな、人間て・・・」と 他人と自分を対比させ嘆かせていることによって、 次第に失われてきたものが際立っているように見えることから 苗子の生活、肉親(千重子と苗子)の死、結婚が反映している。
「この世に、人間というものがなかったら、京都の町なんかもあらへんし、自然の林か、雑草の原どしたやろ。 このへんかて、鹿やいのししなんかの、領分やったんとちがいますか。 人間て、なんでこの世に出来ましたんやろ。おそろしおすな、人間て、、、」(川端康成-古都)
戦争に関係する?
他人と自分を対比させ嘆かせている
B
川端自身も幼少期の経験により対象を客観化する精神が築き挙げられていたため、 千重子の眺める京の 「町は灯がつき、しかも、薄明るさを残し」た状態だった。 すなわち、人々の暮らす街を「薄明るさ」の中で全体として捉えながら、 それがいわゆる「地」として後退する時、「灯」が「図」して前景化してくる。 そして、「灯」によって、 自分の住んでいる街できられた時間や空間が焦点化され、 一人一人の人間の姿を浮かび上がせてくる。千重子が選んだのは、そうした空間と時間とが 重層する希有見られる自分を見ている自分がいて、 千重子は自分自身を突き放し、 対象を客観的に捉えようとしていたと言えるだろう。 (跡見学園女子大学文学部紀(第48 2013-p32)
対象を客観的に捉えようとしていた
自分自身を突き放し、対象を客観的に捉えようとしていた
C
作品舞台である京都の伝統が次第に失われていくことを嘆きながら、 人間のあるはずの純粋、清らかさといった人間性は大切にされるべきだというのが 川端康成の亡くした人に対する懐かしさと人間に対する感情が混じり合って複雑な心情 が「古都」のあとがきより捉えられることから川端は川端は建築物と作内に描いた肉親を思う気持ちと共通しているといえる。
複雑な心情
人間のあるはずの純粋、清らかさといった人間性